日本人最初のクラシック作曲家「幸田延」

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姪の出演するコンサートの追っかけで、埼玉県の川越西文化会館まで行ってきました。

ヴァイオリンとピアノのデュオ・リサイタルで、「音楽史を彩る女性たち」というユニークなテーマのコンサートです。プログラムの白眉は幸田延(こうだのぶ)作曲「2つのヴァイオリン・ソナタ」より「ヴァイオリン・ソナタ第1番変ホ長調」。

解説を聞いて、日本人によって最初に作曲されたソナタ形式の作品であることを知りました。最初が女性だったとは驚きですね。幸田延という人をもっと知りたくて本を探しました。

それによると、明治初期、音楽取調掛という音楽教育の研究機関があり、幸田延は12歳でそこの伝習生になり、ピアノ、ヴァイオリン、声楽を習いました。東京に初めて電灯が灯ったのが1887年17歳の頃なので、燭台つきのピアノで習っていたのでしょうか。

19歳で「第1回文部省派遣留学生」としてアメリカのボストン、そのあとウィーンにも留学して、ピアノ、ヴァイオリン、和声学、対位法など作曲法を学びました。

当時、女の子の音楽の習い事といえば筝だったので、西洋楽器に最初に触れて才能を発揮したのは、筝の上手な女の子でした。延は小学校で教わっていたアメリカ人音楽教師の目にとまり、伝習生になったのです。

25歳で帰国したあとは、東京音楽学校(音楽取調掛が名称を変更)の教授になり、音楽家の育成に人生をかけました。

すごかったのはこの幸田家。兄は明治から昭和にかけて活躍した文豪、幸田露伴!妹の幸田(安藤)幸はヴァイオリニスト。そして延の弟子には「荒城の月」を作曲した滝廉太郎。妹の幸は廉太郎と音楽学校でテニスをやって遊んだ友人(廉太郎にもそんな時代があったんですね)。大河ドラマができそうなキャスト揃いではありませんか。

話変わって、先日小1のSちゃんが、小学校の課外授業でやっているお筝の爪を見せてくれました。お筝は人気で抽選の授業なんだそうです。ピアノとお筝、両立できるの?と思いましたが、やわらか頭の子どもは、何の抵抗もなく受け入れられるんですね。恐れ入りました。明治の延さんもこんな感じだったのかも・・・?