坂本龍一さんが他界して5か月。
今でもなお新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・ネット等で特集が組まれ、情報が更新されています。
『schola(スコラ)坂本龍一 音楽の学校』のYouTube動画(→こちら)が27本、制作したアルバムはソロだけで20タイトル以上、YMOをはじめとしたバンドや他のアーティストとのコラボまで含めるとおびただしい数がリリースされ、映画音楽は50本近く。さらに坂本龍一さんの本をめぐるプロジェクトのひとつ「坂本図書」と名付けられた蔵書の一部は、都内某所のスペースを使って展示の予定とか。1976年のデビュー以来45年間、ずっと音楽はもとよりあらゆるメディアを通して表現し続けてきた彼の足跡は、私ごときが追い切れる量ではありません。
今回は生前最後の著書『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』の中から、ピアノに関するエピソードをご紹介します。
彼は還暦祝いで、生まれて初めて自分個人のピアノを買ってもらったそうです(注、自身のスタジオにはありました)。それまでは叔父さんから譲り受けたピアノしかなく、自宅では一切練習をしなかった。そこでパートナーが練習しない口実を作らせないために、誕生日当日、サプライズでニューヨークのマンハッタンにあるスタインウェイ本店へ、彼を車に乗せて連れ出したと。「人生最高のプレゼントをもらった。」と書いています。
「そもそも自分はピアニストだと思ったこともないし、なろうと思ったこともない。」「ただ自分の音楽を表す一番身近な楽器。」(「コモンズ:スコラ「ピアノへの旅」)
「ピアノソロは、自分が少しでも気を抜いたら、そこで終わりです。仮に横にバンドメンバーがいたり、バックトラックが流れていたりすれば、多少は力を抜くこともできますが、ソロの場合はそうはいかない。」とも書いています。まったく同感です。
癌の再発がわかって、余命宣告をされた翌日(!)に予定されていたピアノソロの録画が、2020年末に配信されたらしいのですが、本人には後悔が残り「未来に残すにふさわしい演奏姿を収めておけたら。」と考えて企画を立てたのが『Playing the Piano 2022』だったということです。注:昨年末トピックスで書きました(→こちら)
最晩年の闘病生活の中でも、MR(複合現実)という新しい技術で演奏する姿を映像として残すことに意欲的だったのは、映画俳優も経験した彼らしいと思います。そしてそれと同時に、18、9世紀のクラシック作曲家のように、ピアノの演奏や楽譜を残したことに、作曲家としての矜持を感じます。
「収録のあとは1か月くらい体調が落ち込んでいたけど、死ぬ前に納得のいく演奏を記録することができてホッとしている。」と語っています。満足したんですね。気どらない、人間味あふれる坂本さんの言葉に救われました。スタインウェイをプレゼントしたパートナーも同じくらいホッとしたことでしょうね。
(この演奏は、ドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto — Opus』という名称で劇場公開される予定です。)
彼の音楽は、敬愛したバッハやドビュッシーの作品のように、古典となって弾き継がれていくことでしょう。
ご冥福をお祈りします。